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大衆の反逆 [評論]

有名すぎる大衆の反逆を読む.20世紀初頭に突如として現れた「大衆」についてのオルテガ=イ=ガセットによる評論である.

オルテガはこの中でいくつもの示唆に富んだ洞察を与えている.大衆はあるがままの生を無為に再生産する,大衆は自らの安穏を支えている科学的社会的な技術の難しさを理解せず,尊重しようともしない.これらの技術は太古の昔から自然と存在しているかのように考え,まるで空気を吸うように自らの凡庸な人生を生きる権利を主張する.大衆はその権力を振るう際は必ず暴力に訴える,などなど.

オルテガは,そのひとが大衆に属するか否かはなにも社会的地位や教育や経済の水準によって決定されるわけではないといい,当時,社会的に地位のあった政治家,官吏,教師,技術専門家などにも,あるいは,これらの人々に最も典型的に「大衆」の行動形態が現れているという.ただし,この大衆に属する人々は数の上で圧倒的であり,19世紀に立ち現れた民主主義的政治システムの中で社会の主人として振る舞うようになったというのである.オルテガはそういう大衆のあり方に対してすでに80年以上前にかなりの危機感を持っていたわけであるが,大きな戦争を経て,経済や社会の仕組みが大きく変わったと思われる今日でも,彼が提起した問題意識,危機感は現在進行形である.

オルテガの時代に猛威を振るいはじめていたファシズム・ナチズムの類いは,彼によれば大衆運動の最たるものであり,社会や歴史の複雑性を理解しない大衆が,民主主義によって与えられた権力を暴力的に発動したものだとみなせる.実際,有名な話ではあるが,ヒトラーが権力を掌握したのは,それ以前と比べるときわめて民主的なワイマール憲法下の議会で,少なくとも形式的には法律に基づいた手続きでもって行われたのであり,いわゆるクーデターのようなものとは異なっているのである.

今日において,1930年代のようなファシズムが復権することはあり得ないように見える.しかし,それは大衆の暴力が表面から地下へ潜ったことを意味するのに他ならない.今日のメディアで見られる政治家や官僚に対する批判は,政治的・社会的に正当な面もあるかもしれないが,それよりはむしろ,ターゲットにされた彼らの問題点を口実にしたいじめ,リンチの類いのようにしか見えない.それらのもつ本質的な闇はファシズムのふるったリンチ的暴力と何ら違いがないのである.今日的な思考のフィルターで見るとヒトラーは悪魔のような悪人であり,ナチスは数限りない不法を働いた,と見えるかもしれないが,全権委任法が成立した1933年のドイツの「大衆」にとっては,ナチス党の独裁支配が最もリーズナブルな解決策に見えたことに疑いの余地はない.今日の日本でも大衆と結びついて社会や政治を破壊しようとする暴力的な政治家は散見されるのであり,彼らの闇は徹底的に看破されなければならないものであると思う.大衆のリンチが横行する社会がどうなるかは,オルテガとは違って,我々は歴史から学ぶことができる.政治が死に,社会は大きな混乱の渦に巻き込まれるであろう.(直接関係はないが,投機的金融経済が与える社会への打撃についても,1929年の大恐慌から我々は学ぶべきであった.20世紀初頭の社会は,今日の我々の社会と多くの点で類似が認められるのであって,今日の社会のあり方を反省する上で無視できない歴史である)

オルテガは,(当時のヨーロッパの)大衆をより有意な生へとしむけるには,テクノロジーや経済活動に比べて小さくなりすぎた国民国家の枠を乗り越えてヨーロッパ共同体を建設するという大事業を打ち立てる他はないと主張する.たしかに,大衆的な振る舞いをする個々人に対して,大衆的であることをやめろと,教育やその他の手段によって強制することは不可能だと彼は考えたのであろう.これも19世紀の産物である「学校」は大衆に技術を使用する手段や方法を教えることには成功したが,科学や技術に対する根本的な理解,尊重を植え付けることはできなかった,としている.しかし,欧州連合が実質的に始まってからずいぶん経った今日でも社会を蹂躙する大衆の勢いは止まらない.オルテガが与えた処方箋は全く不満足なものとしか言いようがないのである.オルテガですらこの問題を解きあぐねているということは,民主主義から専制政治への回帰であるとか,宗教的な倫理や伝統的価値観の復活であるとか,そういった反時代的なアイデアでは本質的には全く乗り越えられない大きな問題であり,全く新しいパースペクティブが必要であることを明らかにしている.

大衆の反逆をいかにすれば社会にとって肯定的なエネルギーに転換できるのか.それは現代人が乗り越えなければならない大きな課題であり,知識人,なかんずく哲学者が正面から取り組まなくてはならない問題なのだろう.
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