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冬のベルリン(1) [旅行記録]

今月の6日、7日とベルリンに遊びにいったときの記録。

例によって、金曜日に寝台列車でベルリンに向かう。接続の関係で、金曜日の深夜24時50分にフランクフルトからシティ・ナイトラインに乗り込む。今回のキャビンは2階建て車両の1階で、ちょっと狭め。
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ベルリンまでは7時間程度の旅である。

明けて土曜日の早朝6時半に起こしてもらったときには車窓の外はまだ真っ暗だった。次第に明るくなってくると、電車は朝霧に包まれたブランデンブルグ地方を走っている。ラインラントやヘッセンとは情景がまた異なっていて、僕の知っているドイツの、「北ドイツの」、いや「プロイセンの」と言うべきだろうか、そういう冬のイメージに何となくしっくりくる感じだ。8時半頃ベルリン中央駅に到着。
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東西分裂以降その機能をほぼ失っていたベルリン・レールター駅の跡地にたてられたベルリン中央駅は、中央ヨーロッパの鉄道のハブとなるべくデザインされた巨大な駅であり、2006年のワールドカップにあわせて開業した。ガラス張りの外観も、良くも悪くも当世風である。
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かつて存在していた壁のすぐそばに位置することから周りには空き地が広がっている。
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遠くに見えるのは旧東ベルリンのテレビ塔。この時刻にようやく朝が来るといったかんじだ。ヨーロッパのアルプス以北は特に緯度が高いので、冬至の近いこの時期は文字通り「朝は朝星夜は夜星」である。

例によって携えてきた折りたたみ自転車に乗って、すぐ近くの「帝国議会」(Reichstag)に向かう。
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Reichstag と朝日。Reichstag というドイツ語は翻訳が難しいのだろうか。通常、「国会議事堂」と訳されるようだが、ほんとにそういう語感なんだろうかという気がする。Reich というのは確かに「国」という意味の名詞だけれど、この場合のReich は特に Deutsches Reich、ビスマルク宰相によって実現せられた「ドイツ帝国」を指しているのだから、帝国議会と訳した方が、ドイツ帝国に属する各種王国・公国の上部組織としての帝国の議会であるというニュアンスが出るのではないだろうかともおもう(例えば、英語でも parliament という語には訳さず "Reichstag"をそのまま使うのが通例だと思う)。統一後の現在はこの建物にはドイツ連邦共和国の「連邦議会 Bundestag」が入っているのだが、建物自体は現在でも Reichstag と呼ばれ、その歴史を記憶している。

その Reichstag の記憶している歴史は、明るい歴史ばかりではない。この建物が、Reichstag としての機能を失った日の記憶はそのなかでも最も苦いものだろう。1933年の国会議事堂放火事件とその直後の全権委任法の成立である。現在の Reichstag の前にはこの議事堂放火事件に関連して犠牲となった議員を記念した小さなモニュメントが、在りし日の Reichstag の墓碑のようにたてられている。
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20年ほど前にはまだ Reichstag のすぐ裏手にはベルリンの壁が屹立していた。現在は、壁のあった場所を示すコンクリートが地面に残るのみである。
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かつてあれほどまでに存在感を示していた(子供の頃のテレビや写真の中でしか見たことのない記憶の中だけであるけど)壁のあった場所をまたいで、自転車を走らせるのはなんとも奇妙な感覚だ。
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少し行くと川があるのだが、この川の対岸は東ベルリンで、こっちは西ベルリンだった。当然川を泳いで西側に逃げようとする人もいたのだが、多くの場合無事に到達することは出来なかった。

ここから旧東側に入って、ウンター・デン・リンデンへ。
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何ですかこの青いパイプは?実用上必要な構造なのか、それとも芸術?広告?全く分かりません。ご存知の方は教えてください... orz

ウンター・デン・リンデンの側から見たブランデンブルグ門。
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とにかくベルリンは道がまっすぐで、しかも大きい。ウンター・デン・リンデンの界隈、ドイツ帝国やナチス時代に官庁が集まっていた辺りはこれでもかといわんばかりで、片側3車線は当たり前!の世界である。僕の受け入れ教授なんか「ベルリンは道幅があり過ぎて対岸がかすんで見えない」なんて冗談を飛ばしていたっけ。ともかく、マインツにせよ、ボンにせよ、フランクフルトにせよ、格子状にバカでかい道がこれでもかと走っているなんていうことはない。ベルリンが19世紀ヨーロッパの後進国家プロイセンの隆盛と歩みを共にしたことを如実に物語っている。そして何故だろう。こんなに道が太いと気持ち悪いと感じるのは。こういう都市の設計は、威圧的ないし抑圧的な印象を与える気がする。もちろん、都市の交通なんかを考えたときには悪いことではないのだろうけど。アイボーによれば、サンクト・ペテルブルグも似たような感じで更に道幅やブロックの大きさを大きくした感じなんだそうだ。

ブランデンブルグ門から南下して、ホロコースト・メモリアルへ。
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このコンクリートの林の中を彷徨しながらユダヤ人やロマ、同性愛者などナチスの政策で組織的に殺戮された人々のことを想え、ということらしい。言いたいことは分からないでもないけど、あまり感心しない。実際、訪れている人はその物珍しさを喜び、ともすると「わーい、迷路ごっこだぁ」といった風情ですらある。まあかといって、虐殺されるユダヤ人の群像を作るわけにも行かないわけだから、どういったモニュメントにすべきかという問題は極度に難しい問題で、それに対して無難で、問題を掘り下げることを観念的説明でバイパスしたかのようにも見える、その意味でこれまた非常に「当世風」なものになっている印象を受けた。じゃあどうすればいいの?ときかれると困ってしまうけど。

(つづく)
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