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おとなになっていくという事 [memoranda]

子供が生まれてあっというまに1年経ってしまった.デジカメはフィルム代がかからないからといって五月雨式に撮りまくった息子の写真をみて思い返していると,1年の間のずいぶんな変容ぶりに改めて驚かされる.最初の1年は劇的だと聞かされていたが,それにしても,である.

そうして思い返すにつけ,子供が成長していくというのは結局のところ煩悩を覚えていくという事じゃないかと思う.本当に生まれてしばらくは,欲望というものが無い.おっぱいが欲しいミルクが欲しいといって泣くことはあるかもしれないけれども,それはおとなの我々が抱く欲望,煩悩的なものとは本質が異なっているようにおもう.おなかが空けば泣いてそのことを親に伝える,そういうある意味事務的なプロセスのように見える.しかし,だんだんと成長するに従って彼らの要求は細分化し,複雑化してくる.欲求に自我が介在し,だんだんと立派な欲望になってくる.おなかが空いたとき,ただ空腹が満たされればいいというのではなく,こっちの食べ物よりもあっちがいいとか,ビスケットじゃなきゃ食べたくないとか,そういう要素が加わってくる.それこそが煩悩的なるものであり,それすなわち「わがまま」である.

我が子のいまの「わがまま」などまだまだかわいいものだが,いろいろな物事を理解し,自分の生きている環境の仕組みや内情を把握するにつけ,より業の深い「わがまま」に彼自身が,そして親も悩まされることになるのだろう.そういう煩悩があるからこそ人間には向上心があり,また,ただ空腹を満たして暮らしているだけの存在とは違う人間性や文化があるのだが,そのようにして成長していくということは,不可逆的に心が汚れていくことのようでもあり,そう考えると切なくもある.ああ,この子も30数年経てばある程度は不可避的に僕のように薄汚れた心を抱えて生きる一人のおじさんになってしまうというのであれば.
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