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自転車で駆け抜けるシュトラスブール(6) [旅行記録]

明けて最終日。2泊した宿をチェックアウトして自転車で出発。カテドラルのある中心地から離れた辺りを自転車で散策することにする。レピュブリック広場から旧郵便局の建物などを見つつ、自由通り(Avenue de la liberté)を下る。運河を渡る橋の一方には、聖ポール寺院。
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大聖堂に比べるとやや小振りだけど2つの尖塔が立派だ。中には入らないで橋を渡る。

橋を渡るとそこは昔大学のあった辺りである。ストラスブールにも遊学したというゲーテの銅像発見。
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その裏手にある(おそらくは大学付属の)植物園をうろうろした後、大学のキャンパスを見物。ストラスブールの大学はちゃんとキャンパスが存在している。まあ、日本のどっかの大学みたいに壁で囲われたりはしていないみたいだったけれども。ただ、建物はおそらくほとんどが戦後に建てられたコンクリートの建物で、魅力には乏しい。とくに、70年代ごろに建てられた、コンクリート打ちっ放しの当時としては斬新だったと思われる建物の数々は、コンクリートのひび割れと染みで無残な姿をさらしていた。

自転車で再び中心街にのぼり、歴史博物館を見物。ながいこと閉まっていたようだが、割と最近リニューアルオープンされたみたいだ。僕のおぼろげな記憶が正しければ、17世紀頃まで、ラインにかかっている橋で河口から見て一番最初の橋がシュトラスブールのそれだったために、交通の要衝として重要な位置を占めていたこと。ドイツ系の住民による自由都市だったところに、いかにしてフランス王家が入り込んできたか、また、それ以降、神聖ローマ帝国などライン川以東の君主たちとフランスとの外交上シュトラスブールが大きな位置を占めたとか、フランス革命の時にもシュトラスブールで市民蜂起が起きて革命勢力が占領していた(カテドラルは武器庫にされたとか)のだが、そのさなかにシュトラスブールに居た工兵隊大尉のルージェ・ド・リールが書いた『ライン軍のための軍歌』 のメロディーが今日のフランス国歌である『ラ・マルセイエーズ』の原型であることなどなどを、ここを見学に来た小学生にもわかりやすいような体験コーナーなんかを交えつつ解説していた。

博物館をでてから、近くで昼食にタルト・フランベをビールと一緒にいただく。これは、極薄のピザのような代物で、アルザスのスペシャリティ。ベーコンとタマネギをのせたものが伝統的なようだ。

そのあとは更に自転車に乗って、「ラインと船の博物館 (Musée du Rhin et de la navigation)」に向かう。中心からはかなりはなれた場所にあって、カナルに浮かんだ船が博物館になっているという話だったが、見事に閉館中だった。うーむ。
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まあ、この様子だと入れたとしても大した展示はなさそうだからまあいいか。

だんだん時間を持て余しつつあったが、中心部に戻る途中の公園で、18世紀に要塞化されたシュトラスブールのシタデルの址を見物(なぜか写真がない...)。いまはのどかな市民の憩いの場だ。

さらに時間を持て余してだらだらと見物しつつ自転車を鉄道駅の方に走らせる。
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旧市街の東の限界。中世に作られたという塔が見える。この塔の向こう側に近現代芸術博物館がある。
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「へんなたてものだなあ、へんなもにゅめんとがみえるなあ」と二言みことつぶやいて中には入らず、駅へと向かう。
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駅舎も大変なことになってる... EU議会のコンプレックスと類似のデザインですね...
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中から見ると、もともとあった駅舎のファサードに、ガラスの構造物を付け足しているのが分かる。まあ、アイデアは面白いけどね。どうしてこう総ガラス張りみたいなの流行るんだろうかねぇ?

もともと予定していた電車の時間よりも2時間ほど早かったけれども、電車に乗って国境を越えてしまって、座席指定のあるICEへの乗り換え駅であるオッフェンブルグで見物でもしようか、ということに。近郊電車の時間までしばらくあったので、おやつをいただく。
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フランスのガトー (gâteau) はドイツのクッヘン (Kuchen) に比べると味も見た目も洗練されてるよなぁ。

近郊電車に乗ると、あっという間にライン川を越えてドイツに。途中、トウモロコシ畑の真ん中で何もない、みたいな駅から、サイクリングスーツに身を固めた人たちが自転車を抱えて電車に乗り込んでくる。ドイツは、自転車を載せていいスペースが近郊電車には確保されているけど、そのキャパシティーを遥かに越えていて押し合いへし合い状態だった。ドイツ人は、自転車のツーリングがホントに好きと見える。

ICEへの乗り換え駅のオッフェンブルグ Offenburg は観光の観点からみるとほぼ無名のようだ。Rough Guide Germany にも載っていなかった。町の紋章が、町の名前そのままに、城の扉が開いている様子なのがかわいい。
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日曜の夕方だったので観光案内所もしまっていたので、適当に自転車を乗り回すことに。「適当にのりまわす」なんていうことが実はマイ自転車をもって旅行する最大の醍醐味だったりする。よくよく見ると、町の所々にプレートが貼り付けてあって建物や町の歴史を説明してくれる。
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写真は旧市庁舎の説明...しかし、ドイツ語とフランス語...orz ドイツ語は分からないのでフランス語を適当に読んで分かったふりをすることにする。分かったふりをした範囲では、このオッフェンブルグという町はドイツで初めて市民による革命蜂起が起きた町らしい。まあ、フランス革命勢力の拠点だったシュトラスブールのすぐ近くだからまあそういうこともあるかな、とか。市庁舎は結構きれいな建物だ。
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町をつくった伝説上の人物 Offo がてっぺんにくっついてるのがおちゃめ。
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実際のオッフェンブルグは12世紀頃には既にそれなりの大きさの町であったらしい。中世には神聖ローマ帝国の自由都市として栄えたようだ。旧市庁舎自体は18世紀の建物。

町のメインストリートにあった「原罪」のモニュメント。
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リンゴを追っかける蛇ですねこれは。でも、目抜き通りに「原罪」ってどういう組み合わせだろ...

オッフェンブルグをみて思ったのは、ドイツには大きくはないし、旅行案内本にはでていないけれどもそれなりに歴史も有るしきれいな町並みを持つ町がたくさんあるのだろうな、ということ。電車の乗り継ぎの都合とはいえ、そういうことでもなければこの町を訪れてみることはなかっただろうな、と。

帰りの電車では、マンハイムからマインツへのICで指定席を取っていたのだけれども、僕らの座席には既に(多分アラブ系の)女性二人組が座っていた。座席取ってるから、かわってくれますか、と頼んだんだけれども、言っていることが分からないふりをして頑として立ち上がろうとしない。こっちがドイツ語をしゃべらないのがいけなかったのかも知れないが、ドイツ語で拙くしゃべったとしても知らんぷりをしたりしたかもしれない。ルールにうるさいドイツ人は、車掌がきたら車掌に文句を言わないと、みたいなことをいっていたけれども、まあ僕らが乗るマンハイム=マインツ間は1時間もかからないぐらいだからまあいいことにした。ヨーロッパでは、日本みたいに指定席の車と自由席の車が完全に分離されていないから往々にして自分の座席に違う人が座っていたりするのだけれども、知らんぷりされたのはこれが初めてだったのでちょっとびっくりした。

マインツに到着した頃には日もどっぷりくれていた。(完)
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