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シティ・ナイトラインで行く フィレンツェ補習の旅(2) [旅行記録]

一夜明けて、ホステルの地下にある食堂で朝食をいただいてチェックアウト。朝の10時が近かったと思うけど、チェックインする客とチェックアウトする客が入り乱れて大変な混雑だった。チェックアウトするだけで30分ぐらいかかった。

チェックアウトを済ませて、サン・マルコ寺院に向かう。教会そのものではなくて、となりの回廊にある美術館が目的地だ。言わずと知れた、アンジェリコの受胎告知のある場所だ。アンジェリコは、このサン・マルコ教会の修道院にいたドメニコ会士だったのだが、画家として多くのテンペラやフレスコを残している。ここ、サン・マルコ修道院の回廊の1階部分にはテンペラ画などが、2階部分の各部屋にはアンジェリコやアンジェリコの弟子の手になるフレスコが残されている。今日、ここを訪れると、2階につながるL字型の階段があって、階段の踊り場を曲がると目の前にこの受胎告知のフレスコがどーんと現れるのである。

(この写真、色が悪いな...)

アンジェリコはいくつもの受胎告知を残しているが僕はこの絵が一番好きだ。今まさに舞い降りた天使とそれにうろたえるマリア。天使がマリアに向かって "Ave, gratia plena dominus tecum" と発話するのはこの一瞬後か、すでにマリアにささやきかけた後か、といった趣で、まるでその場面を超スローモーションで切り取ったかのようである。ダ・ヴィンチの受胎告知では、ガブリエルとマリアがいままさに決闘でもおっぱじめそうにしか見えないの対して、この絵にはもっと慈しみのようなものがあふれている。整った天使の表情は恋人に告白する美少年のごとくであり、

天使:マリアさん。僕、ずっと前からあなたのことをひそかにお慕い申してきました。想いつのりつのって僕の体にはついには羽が生え、そしてそこの垣根を飛び越えて僕の想いをお伝えしにきたのです。
マリア:まあ、そんな、突然こまりますわ。おやめになってください。

てなぐあいの吹き出しでも入れたくなる。しかし、ここはドメニコ修道会の修道院だった場所。汗臭い男の修道士ばかりが暮らしている中で、こんな性的とも言える魅力を放つ絵を描いたり見たりしながらもんもんとして暮らしていたのかとおもうとちょっと変な感じ。まあ実際は、件のリッピのように修道女に手を出すようなのもたくさん居たようだけど。

修道士の居室にあるフレスコ画には一定のフォーミュラがある。例えば典型的なのはこの「イエスの埋葬」。

イエスを取り囲んでいるのはマリアやマグダラのマリアなどおなじみの登場人物なのだが、一番左にいるのはドメニコ会の始祖・聖ドメニコなのであり、この聖書の場面を彼が目撃しているというわけだ。

これも回廊2階の部屋にあるフレスコのひとつ。キリストの墓を開けたら中がもぬけの殻だったのにびっくりしたマリアたちに天使がイエスが復活し、昇天したことを告げている場面である。マリアは天使の言葉を聞いて、昇天するキリストのビジオンを見る。そして、ビジオンを見ているマリアを左隅の聖ドメニコがビジオンとして見ているのである。こんなちょうしで、ここのフレスコのほとんどは、聖場面とそれを目撃するドメニコ会関連の聖人がセットで描かれているのが特徴である。

サン・マルコ修道院をでて、修道院の前の広場に面した小さなカフェでサンドイッチとカプチーノをいただく。昨日の夜急に「フィレンツェには、クリストフォリの楽器が確かあった筈だ」とアイボウがいいだして、今朝チェックアウトの待ち時間にホステルのカウンターで楽器博物館はどこにあるかアイボウが情報を聞きだしていた。教えられた住所の場所に行くと、そこは「アカデミア美術館」。そう、あのダヴィデがどーんと突っ立っている場所である。ほんとうにここなのかなぁ、といいながら、入り口の警備のおじさんに「ここに楽器の展示あるの?」ときくと「ない。絵と彫刻だけ」とかなりきっぱりと答える。まあそういうならそうだろうと楽器はあきらめることにする。天気が良かったので、じゃあまああまりにもベタだけれども、ドゥオーモのクーポラに登ろうかという話になったのだが、上り口まで行って見ると張り紙が。
Fir14.jpg
ちょうどこの日は万霊節 (all saints' day) だったため、その行事の関係でクーポラは閉じられていたのであった。

それなら、フィレンツェの科学歴史博物館(ウッフィツィの裏手にある)に行って見ようかと自転車を走らせたが、この日は土曜日だったので午前で既に閉まっていた模様。仕方がないので、機嫌が悪くなる相棒をなだめつつ聖ロレンツォ教会のメディチ家の礼拝堂を見物する。天井がものすごく高い空間に、メディチ家の当主らの墓がある。最近、Project Medici と称する墓暴きが政府の財政支援のもと進行中で、棺桶に納められていた副葬品なんかが展示されていた。更に奥の小さな部屋には、ウルビーノ伯ロレンツォとジュリアーノ・メディチの墓がある。この墓はミケランジェロの手によってデザインされており、それぞれの墓の上には墓の主の彫刻と「夜明け」と「夕暮れ」、「昼」と「夜」の寓意が配置されている。これらは、フィレンツェにおけるミケランジェロの最後の作品のひとつであり、実際、この墓の彫刻はほぼ完成しているもののいくつかの彫刻の仕上げと、部屋のフレスコ画を未完成にしたままかれはローマの教皇庁に移ってしまった。これらの4つの寓意の彫刻は墓から垂れ下がるような造形である上、どれもこれも不自然に体をひねっているように見える。モデルにこの恰好をさせても長時間この体勢を維持することは出来ないだろうな、とおもえる。そういういみでこれらの彫刻における人体はあるいみ非写実的であり、いわゆるマニエリズムの彫刻の初期にあたるんだそうだ。

メディチ礼拝堂をでるところで、売店に立ち寄ったのだが、そこでアイボーが何気なく手にした本には、アカデミアギャラリーの説明のところにチェロか何かの写真が写っていた。なんだ、やっぱりアカデミアギャラリーには楽器の展示もあるんじゃないか、警備員のおっちゃんにだまされた、とかいいながら、アカデミアギャラリーに向かう。

アカデミアに着いたら、まずは楽器の展示のところに向かう。メディチ家の集めていた古い楽器などが展示のメイン。クリストフォリの船型スピネットを拝む。クリストフォリはいわゆるハンマークラヴィーアを発明した(正確には、現代の全てのピアノが持っている機構のうち最も重要なハンマーの「エスケープメント」を発明した)人物であり、メディチ家のために楽器をたくさん作っていた。残念ながら「クリストフォリのピアノ」とされる楽器は世界に3つぐらいしか残っていない。展示では、ライプツィヒにあるクリストフォリピアノのひとつの複製楽器が展示されていた。ライプツィヒにも行かなきゃ...

そのあと、せっかく来たのだからとダヴィデを見ることにする。でかい。体がでかいのはまあいいけど、プロポーション的に手がでかいのが気持ち悪い。来た道を戻って外にでようとすると、出口は反対側ですといわれる。そっちに向かっていくと今度は、12世紀から13世紀のテンペラ宗教画がたくさん展示されていたので若干足止めを食う。この時代の宗教画は、あるいみマンガのような造形で、芸術に対して進歩史観をもっている人にとっては「未熟な」ものとして移るようなものだとも思えるけれども、そのうちに込められたある意味怨念のようなエネルギーに引きつけられてしまう。思ったよりも時間をとられたので、あせってアカデミアを後にする。

その後、聖ロレンツォ教会の前からつながっている屋台で革のかばんを物色。結局僕のとアイボウのと、あわせて3つもかってしまった。

このあとは駅から電車に乗っておうちまで帰りました、めでたしめでたし..............となる筈であったのだが、思いもよらぬ事件に遭遇することになる。フィレンツェからミラノまでは座席を予約していたユーロスターに乗って大した問題もなく移動した。ここからまた寝台列車に乗って、次の日の日曜日の朝にはマインツにたどり着く、という旅程。晩ご飯をミラノで食べようと思っていたのだが、ミラノ中央駅にはレストランの類いがないので、サンドイッチを買って寝台列車のキャビンでこれを食べようということになった。サンドイッチを手に電車に乗り込みキャビンに向かう。発車時刻までは30分ぐらいの余裕があった。途中、寝台車のキャビンのベッドを上げて座席にして談笑しているグループが居たので、「あれ楽しそうだね」といって自分たちもベッドを上げて座席にしてサンドイッチを食べようということになった。

自分たちのキャビンにはいって座席をつくろうとするけどなかなかうまくいかない。ベッドをどうにか壁側に持ち上げて座席を取り出そうとガタガタと悪戦苦闘しつつ、ベッドの下の部分にしまわれていた座席を持ち上げたところ、なにか靴のようなものが目に入る。「あれ?なんか置いてあるよ?」と僕。なにがおいてあるのかしらとおもって良く見渡してみると、靴から人間の脚のようなものがのぞきその先にはジーンズ.... あれ?おかしいな?マネキンでもしまってあるのかな、でもその割りには肌がリアル過ぎるなぁ、でも、ぴくりとも動かないし。うーんこれはなんだろう?人間?でも、そもそもこんなところに人間がしまってあるはずが...... と頭の中でいろいろと考えているとアイボウが、「うぁあぁああああぁぁ」と素っ頓狂な声を上げる。そうしてはじめて、「あ、やっぱこの状況だとふつう死体だって判断するんだな、そりゃそうだなー」と気付く僕。僕は急いでキャビンを離れ、車掌のところにいってベッドの下に body があるんだと告げる。車掌と戻っていくと、アイボウが「彼はいなくなった」という。僕が離れた隙にその body がごそごそと座席の下からはい出して、「そーりーそーりー」といいながらどこかに行ってしまったのだという。確かにまあ腐敗臭とかしなかったし、死体って事はなかったんだなとひと安心したが、でも、あそこでもし、ベッドを座席にしてサンドイッチを食べようとしていなければ彼がベッドのしたに潜んでいることに気付かずにずっと旅行していたのかと思うと、なんだか生きた心地もしない。そのあと、びっくりしてキャビンでぼーっとしていると、さっきここに隠れていたアフリカ系の男が、僕らのキャビンの目の前を廊下をうろついているではないか。アイボーが追いかけていって目が合うと、彼は具合悪そうな笑いを浮かべて逃げていったそうである。

随分大騒ぎしたのでまわりの人たちはけっこう心配してくれたけど、車掌はその男を追いかけたり、警察に連絡したりというそぶりもせず、「居なくなったならまあいいよね」。まあ、死体がでたりしたら電車が運行できなくなるけど、そうでないならということなんだろうが。アイボーが言うことには、キャビンに入ったときに、人の体の匂いがするなと思ったそうである。彼はあそこに隠れてアムステルダムまで行くつもりだったのだろうか?あの狭いスペースで身じろぎもせず、何も食べず何も飲まず、何時間もじっとしているつもりだったのだろうか?彼の身なりはそんなに汚いわけではなかった。2等の座席だったら100ユーロちょっとで同じ電車の切符を買えるのだから、そのぐらいのお金は出せそうな感じだったし、何故あそこに隠れて、しかも、一度見つかった後も別の隠れ場所を探してまであの寝台列車に乗ろうとしていたのか、釈然としない。あるいは、正規の滞在でないため国境を越えられないといった事情があったのかも知れないけれども。しかしまあこういう出来事に遭遇すると、「ナントカ急行殺人事件」とか書きたくなる気持ちもよく分かる。今度から皆さんも、寝台列車に乗るときには、ベッドのしたに人が隠れてないか確認するようにしてくださいね....ホントに.....。

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青竹

そうそう、ボッティチェルリやフラ・アンジェリコを見にいったおまけとしては強烈すぎる体験。

キャビンにふっと汗の匂いがして、お掃除の人の体臭でもきつかったのかなと思ったら、ベッドの下にほんとに人がいたなんて……
二段ベッドの下段には私が寝ることになっていたし、あの時気付かなかったら自分の寝ている下に知らない男性が息を潜めていたのか、中から鍵をかけて密室になった時に下からそろそろと手が伸びてきていたのか、いろいろ妄想が広がってとてもどきどきしてしまいました。

それに対して車掌さんはむしろ大騒ぎしている私たちを愉快がっているかのような笑顔の対応だし、イタリア・スイス国境で興奮さめやらぬまま外を眺めていたら後ろ手に警察に連行されていく人は目撃するし、車掌さんは「僕の乗務では初めてのことだよ〜はっはっは」なんていってたけど、ヨーロッパの寝台ではこういうことはやっぱり日常茶飯事なのかもしれないと疑っています。

by 青竹 (2008-11-24 01:40) 

わたし

これ、面白い話!

以前、江戸川乱歩の「人間椅子」という短い話を読んだのを思い出しました。
by わたし (2008-11-25 16:03) 

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