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シティ・ナイトラインで行く フィレンツェ補習の旅(1) [旅行記録]

先週の木曜日10月30日の夜から11月2日日曜の朝にかけて、フィレンツェに行ってきた。9月のイタリア旅行でもフィレンツェには立ち寄ったことは遅々として進まない旅行記録でそのうち明らかにされるはずのことなのだけど、あのときは滞在したのは半日ちょっとだったし、フィレンツェの箱もの(博物館の類い)には全然行く暇がなった。10年前に母親とふたりで旅行したときに、ウッフィツィのボッティチェッリやアンジェリコのフレスコに深い感銘を受けたことの記憶もあって、9月にそういった美術関係を見られなかったのがとても心残りで、アイボーと補習の旅に出かけた。

ドイツからイタリアへ行く飛行機は、かなり早めにとらないとすぐに値段が上がってしまう。今回はいろいろな交通手段を比較した末、自転車の運搬のしやすさなども考慮して寝台列車で旅してみることにした。シティ・ナイトラインはドイツ鉄道などが中心となって運行される国際寝台列車で、中央ヨーロッパにかなり豊富な路線をもっており、結構人気があるらしい。寝台列車がほぼ絶滅した日本とは対照的で、この時期の平日でも乗客はかなり多かった。いつぞや、わけあって城崎まで東京から寝台列車に乗っていったとき、クシェットがものすごく閑散としていたのと対照的である。寝台列車での2泊を含む3泊の旅で、見物に使えるのは2日間。

行きは、CNL301号でミラノまで向かい、そこからイタリアの高速鉄道・ユーロスターで2時間半ほどかけてフィレンツェに向かう。CNL301号はアムステルダムから出発して基本的にはライン沿いを南下してくるのでマインツにも停車する。
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夜10時12分にマインツで乗車して、ミラノに着くのは朝の7時45分。最後に夜行列車に乗ったのは既述の城崎に行ったときで、その前は多分大学1年のときに学友たちとフランス旅行に行ったときにパリからアヴィニョンまで寝台に乗ったときだった気がする。久しぶりで大興奮。
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興奮振りが写真からも伝わってくるようだ... われわれは、4人用や6人用のクシェットで、隣の人のいびきがうるさかったりしたらやだもんねと言って、結構割高だったけれども2人用のキャビンを予約した。キャビンとはいっても、そんなに上等な代物ではないのだが、部屋の中に洗面もついているし、知らない人に気や神経を使いながら過ごさなくてもいいというあたりがポイントが高い。
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結局、夜中にベッドに寝そべって車窓から外の風景を眺め、あまつさえ寝ながらにして2度も国境を越え、アルプスを超えてイタリアに行くという非日常の体験に微妙に興奮気味だし、物理的にも揺れにあまり慣れていないのであまりよく眠れなかった。朝は温かいコーヒーと簡単な朝食を車掌が届けてくれた。

その後の旅程にはほとんど問題はなくて、フィレンツェ・サンタ・マリア・デッラ・ノヴェッラ駅には11時前に到着。駅のカフェテリアで簡単に昼食を済ませる。今回の「補習旅行」の目的は、なんといってもウッフィツィ・ギャラリーに行くことであった。チケットを予買していないと1時間待ち2時間待ちは当たり前だということだったので、ネットでチケットを買っていた。このチケットもオフィシャルなサイト以外にも仲介サイトがたくさんあってとても分かりにくい状況なのには閉口した。オフィシャルサイト以外で買うと高額な仲介料や発券料をとられたりする。さて、このネットで買ったチケットは入場時間が15分単位で区切られていて、僕らのチケットは13時から13時15分までに入場するチケット。だから、1時間ぐらい時間が余ってしまった。余った時間で、前回見物しなかったサンタ・クローチェ教会に行く。
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サンタ・クローチェ教会にはフィレンツェにゆかりのあるルネサンスの巨人たちの墓やモニュメントがある場所である。教会前の広場を見下ろすダンテ像。
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異端判決から名誉回復された1737年に作られたガリレオの墓。
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マキャベリの墓。
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教会自体も大きいし、ジョットのフレスコがあったりするのだが、大規模な修復の最中であるせいもあって、どこに何があるのか分かりづらくてちょっと困った。
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まあ、僕たちが1時間という限られた時間の中で見物しようと焦っていたからかもしれないが。時間切れで併設の博物館はパス。

いよいよウッフィツィへ。ここの数多い収蔵品の中でも、メインをなしているのは13世紀から15世紀までのイタリア中世・ルネサンス絵画であるという点については何人も異論を挟むことはないであろう。最初に現れるドゥッチオ、チマブーエ、ジョットの聖母子像からして圧倒されて、ゆっくり見物してボッティチェッリにたどり着いた頃には1時間半はたっていただろうか。

ウッフィツィといえばボッティチェッリ。これはもう仕方がない。いくらミーハーな観光客がボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」や「春」の前に人だかりを作っているのが生理的嫌悪感を感じさせるとはいえ、僕もボッティチェッリの絵に吸い寄せられてしまう一人であって、嘘を800ぐらい並べながら解説を加えるどうにも気に入らない日本人のガイドに引き連れられて他の絵には目もくれないくせにボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「春」、あとはダヴィンチの「受胎告知」だけを見て帰っていってしまうような観光客たちと僕との間にどれほどの違いがあるというのだろう。僕は絵のことはよくわからないし、それどころか、絵について過剰にうんちくを言うという行為自体がきらいだからこんなことしか書けないけど、ボッティチェッリはとにかく人物の顔が凄い。

たとえばこの、「マニフィカットの聖母子像」。マリアさんの法悦に恍惚とする敬虔な艶かしさをたたえる表情には引きつけられずにはいられないけど、周りの天使たちも美少年過ぎる。「ヴェニスに死す」に出てくるタージオがもしこんな美少年であったなら、アッシェンバッハがその面影から逃げられなくなってしまったのもむべなるかなといったぐあいだ。しかし、ここに出てくる人物のどの顔も、実際にこんな顔の人物はいないと僕には思える。ボッティチェッリは、自分が「美しい」と思うタイプの顔を描くときに、どうやって顔をデフォルメすればいいかをよく知っていたんじゃないだろうか。そういう意味では、ボッティチェッリの絵に現れる人物の顔は人間的でありつつもシュールレアリスティックですらある。

このボッティチェッリが影響を受けたと考えられる画家の一人にフィリッポ・リッピがいる。ウフィッツィにあるリッピの作品と言えば、何を置いてもこの聖母子像だろう。

これは宗教画とはいえない気がする。マリアさんが美人すぎる。「マリアさんがこんな美人だったらスキャンダルだ」とアイボーはいう。たしかに、こんな美人がある日突然妊娠して、父親は誰かも分からない、天使がやってきて、おなかに子供ができましたよ、っていったんだ、なんて大変なスキャンダルだ。またアイボーは「見ちゃいけない絵だ」ともいう。絵の中の美人に浮気してしまうからだそうだ。彼女がそう思うのもうなずけるほどこのマリアさんは確かに美人に描けている。吸い寄せられてしまうような魅力がある。

ウッフィツィの案内の本にもあったが、僕の理解が正しければ、このマリアさんのモデルはフィリッポ・リッピの若い妻だろうということだ。ヴァサーリの記すところによれば、修道士であったリッピ(当時は画家の多くは修道士であった。例えば、後述のアンジェリコもそうだ)は、50歳になろうかという頃、赴任先のプラートの修道院の司祭になってほどなくして、同じ修道院の23歳の修道女(あるいは修道女付きの娘)ルクレツィアを誘拐して自分の家に連れ帰ってしまったあげく、男の子を産ませてしまう。このことが原因でリッピは聖職をクビになってしまうが、後にメディチ家の取り計らいで教皇庁から特別に還俗がみとめられてふたりは正式に結婚したようだ。そういう彼の若妻ルクレツィアがこのマリアさんのモデルだろうというのである。ほんとかどうかは知らないが、そうだとすればこの絵の背景にはもうひとつの違うスキャンダルが潜んでることになる。いずれにせよ、リッピがこのマリアさんのモデルに対して押さえることの出来ない、ふたをしても溢れ出るほどの個人的な感情を持っていたとすれば、このマリアさんの顔を見つめるだけでドキドキしてしまうような、そんな魅力の源泉がどこであるのか、腑に落ちる気がする。

ボッティチェッリを見終わったあたりで、バーに行っておやつを食べて一息。そのあとはあまり時間をかけないようにさーっと流して見たのだけれど、結局ウッフィツィを出たのは閉館ぎりぎりの6時半過ぎであった。いずれにしても、本当に良い絵というのは(上の2つの作品を含めて)本の図版を見るのと本物を見るのでは大違いである。wikimedia commons からとってきて上の画像を貼付けつつも、本当はこういう絵じゃないんだけどなぁと思ってしまう。その意味では、寝台列車に乗ってまでわざわざ実物を見に行くことは大変な酔狂のようではあるが、それだけの価値のあることだったと思う。


夜のドゥオーモ。
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予約しておいたホステルにチェックインして、おすすめのレストランを教えてもらってそこに行く。前回にフィレンツェに来たときに行ったレストランはウエイターが信じられないような態度の悪さだった(という話はまた別にちゃんと書くとして)のだが、そんなのとは違ってとても活気のあるレストランで、ウエイターのお姉さんも親切で機転が利く感じで食事を楽しめた。料理そのものもおいしかったことは言うまでもないけど。
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ホステルに帰ると、我々の部屋の向かいの部屋に泊まっている20代だろうか、おそらくはアメリカ人たちが、自分の部屋でがんがん音楽をかけながらハロウィーンにかこつけたパーティーで騒がしく盛り上がっていた。まあホステルって言うのはそういう若気の至りというか、青い若さがあふれている場所だから、と僕はあきらめ顔だったのだが、アイボーは怒り心頭に達したらしく、フロントに抗議して騒音を排除していた。夜行列車であまり寝れなかったこともあったし、美術館は基本的にずっと立ちっぱなしなので疲れていたこともあってすぐに眠ってしまった。(つづく)
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